2017/08/26

詰将棋鑑賞、超入門!(3前)変化紛れ

※「鑑賞は初めてだなあ」という方向けの記事です。
※本記事は特に初めての方向けです。

 今回は変化・紛れの概念とそれが鑑賞にどう影響してくるかについてです。
まず用語の解説。
(以下 80年代ショート詰将棋ベスト200 詰将棋用語集より引用)

[変化]作意以外の玉方の応手により生じる手順。これが詰まない作は不詰である。
[紛れ]作意以外の攻方の着手により生じる手順。これが詰む作は余詰である。

※作意=作者が意図する正解手順。



 もう少し詳しく説明すると、受方は応手の分枝の中で一番長い手数生き延びることができる手順(=作意順)を選ばないといけないというルールがあり、その作意順と明確に区別できる(作意より短く詰むor同手数ながらも攻方駒が余る)分枝を「変化」と呼び、区別がつかない(同手数でしかも駒が余らない)分枝を変同(=変化同手数)と呼びます。変化を答えても正解にはなりませんが、変同を答えたら正解扱いになります。

 堅苦しい用語だけではピンとこないですし、実例で示します。

古作物

2017-08-26a.png

(A)23銀打、(イ)13玉、12銀成、(ロ)同玉、23金 まで5手詰

 紛れ記載に該当するところにA,B,C
 変化記載に該当するところにイロハ…とつけるのが一般的な記載法です。

■変化
(イ)2手目31玉という手もありますが、これは32金までで最長の5手詰より短く詰みます。こちらの手順でも詰んでいるものの、こちらの手順を答えても正答とは言えません。
(ロ)4手目同香も23金まで。24玉には25金まで。
 これらの手順は作意と同じ5手詰で、攻方駒も余っていません。ですのでこれは変化同手数。この順を答えても正解となります。

■紛れ
(A)初手23金は31玉とされ、32銀と頑張っても42玉と逃げられ詰みません。

 お察しの通り、変化紛れは書こうと思えばいくらでも書けますし、全部記載するととんでもないことになります。ですので、詰将棋本では全部の変化紛れが記載されることはなく、必要なものに絞って記載されています。
 
 変同に関してはまた別の機会に話します。



 概念の説明が終わったところで、さてここからは鑑賞論です。
 
 まずざっくりした問いを立てましょう。
Q「詰将棋は変化・紛れが多いほうが難しくなるか?」
 答えはYESです。多岐にわたる変化紛れがあれば作意を見つけるのが難しくなりますし、その枝のそれぞれが深い(≒長い手数を読まないといけない)ほうが読みの作業が大変になります。

Q「詰将棋は変化・紛れが多いほうが良いか?」
 変化紛れが多いほうが情報量が増えるのですから、なんとなくYESっぽそうですよね?
 しかしこれは作品によるとしか言いようがありません。
 『あまりにさっくり解けすぎるのは良くないから、適度な変化紛れは必要。しかしあまり煩雑になりすぎるのも良くない…。』というのが無難な回答で、大体の作品の評価に使える考え方なのですが、「さっくり解けすぎることを売りにしている作品」、「殺人的な難しさで評価された作品」というのも登場しているので必ずしも全ての作品を一括りに考えることができないのです。


 詰将棋の評価法で、よく「難しければ難しいほどいい作品なのか」という疑問を耳にしますが、詰将棋作品は難しさを最重要課題として作られているわけではないことは是非覚えて帰ってほしいです。むしろ最近では夾雑物を廃したシンプルな仕上げ(変化紛れが平易になりやすい)が好まれるようになっているぐらいです。
 難しさはプラス要素にもなれば、マイナス要素にもなりうるものです。その作品が(ざっくり二項対立にしてしまうならば)重厚なほうがいいのか、さらりと流れるように味わうべきなのか、そのアトモスフィアを感じ取った上で、難解性がプラスに働くかどうかしっかりと吟味しないといけないのです。 



 ところで、最近SNSで最も短手数の看寿賞受賞作品が紹介されていましたね。



 ご存知の方も多いでしょう。
 これほどの誤解者を出した3手詰ということは、最難解の3手詰とも言えるのでしょうが、変化、紛れの多さという意味の難しさで考えるとどうでしょう?実はそんなに多くないのです。
 初手は香を開くぐらいしかありませんし、その開き場所全ての場合を読んだとしてもたかが知れています(このことは本作の評価にプラスに働いていると私は思います。フォーカスが絞られているからこそ、作意順に登場する香限定移動が目に焼き付き、強く印象に残るのです)。
 全部を読めば誰もが正解順にたどり着いた。しかしそうならなかったということは、詰んでいない順を詰んでいると錯覚したということになります。

 おそらく多くの方はこう回答したのでしょう。
 
 73香成、(イ)97龍、74龍まで???
 (イ)54玉も56龍で詰んでいる。どう応じても詰んでいるようにしか見えない。だからこの順が正解としか思えない。

 しかしこの73香成に対しては妙防がありました。86歩!
 74地点には龍の利きが残っているので74龍ともできず、86同角しかありませんが、54玉、56龍に98龍!と根元の角を取られてひっくり返ります。
 
よって本作の正解順を記載するとこうなります。

 72香成!、97龍、73龍まで3手詰

 こうすれば86歩合とされても構わず73龍とできます(変同ですのでこちらの順を答えても正解とは思いますが、変同のなかでも終形が最もさっぱりしているもののほうを選ぶのが見栄えが良く好まれます)

 作意のようにみえて実は詰まないという順を「偽作意」と呼びます。
 本作の73香成が偽作意として働くためには、
・本当の作意である72香成より有力に見えて
・逃れ順である86歩合が見落とされる

 少なくともこの2項目が必要です。

 そういう意味では、解図されるまでこの作品の真価は分かりません。そして、この偽作意がきっちりと仕事したからこそ記録的な誤解者が出る結果となりました。
 確かに本作は難しいかもしれない。しかしその難しさは圧倒的な読みの情報量を要求する「数の暴力」によるものではなく、人間の心理に大きく依存している。この2つの難しさは、口にする用語は一緒であっても全く異質のものであります。

 もっと言えば、正解順が偽作意のかなり近傍にあったことも評価を語る上で見逃せない要因と考えられます。
 この「偽作意モノ」というジャンル、一般的に言えばあまり評価が伸びません。期待を裏切られるような感じが強いからです。偽作意順をより精密にしたいがために肝心の作意順が見劣りしてしまうのはよくある話。こういう作品には厳しい評価が待っています 
 偽作意モノの作意には偽物以上の魅力が必要です。しかもその上で偽作意の陰に隠れていないといけないのですからこれが本当に大変。予想を裏切りながら期待を裏切らない(←これ自分の口癖です笑)「うまい偽作意もの」の創作難度は想像を絶するものがあります。

 『73ではなく72。こんな近くに正解があったのか。しかし、この一路の違いに気付けない。近くて遠かった…。』と感じられるような視覚的インパクトがあったからこそ、誤解者も晴れやかな気持ちで本作に向かい合うことができたのではないか。
 
※本作発表当時、私はまだ生まれてなかったので上の持論はすべて推測です。

 本作の変化紛れは詰パラに載るような超短編作品群と比べ、際立って多いわけではありません。むしろ少ないぐらいかも。しかし紛れ順の歩中合が巧妙で鮮やかだった。つまり上質なものでした。
 確かに本作は記録的な誤解者数を残しました。しかし、その数字でもってのみ本作は評価され、受賞したわけではない。これが本記事で最も言いたかったことです。



 今回は変化紛れの話のなかでも難しさについての話に終始してしまいました。
 次は変化紛れの内容がどう作品鑑賞に関わってくるか?について話したいと思います(こっちのほうが重要かもね)。
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2017/08/04

鑑賞としての詰将棋短編名作選

 鑑賞は初めてだなあ、という方向けの記事。
 
 詰将棋短編名作選という書籍が最近販売開始となりました。



 一般書店には並びません。購入法の告知も詰将棋パラダイス内であったぐらいだったので、正直詰パラ購読者以外の方が購入したくても難しい状況だったのですが、現在は将棋情報局さんにて通販で購入可能になっております。便利ですね。
(最近の私は誰かに頼まれたわけでもないのに、宣伝マシーンになっています)

 名作ばかりが400作。オススメです。
 
 さてその中身なのですが、図面の下にすぐ解答、解説が書かれているレイアウトになっており、「解くときに答えは見えないほうがいいから、ちょっと不便かな」という声もあるようです。
 (ちなみに大学の将棋部の後輩たちにも購入してもらったのですが、みんなが「頑張って解いてみます!」と言ってくれるんですよ。実戦派のみんなに「えー、解かんでいいよ~笑」とも言えず、「堪能してね~」ぐらいの返事にしたんですが笑)
 
 なぜこんなレイアウトなのか。いろいろな理由・事情があるのでしょう。ただ1つ言えるのは、鑑賞派の人にとってはこれ以上有難いレイアウトは無いということ笑。詰将棋・解説を鑑賞物・鑑賞法の解説と捉えると(このあたりは前回の記事に詳しく書きました)、両者はすぐ近くに隣接していたほうがいいとも言えるでしょう。
 偉そうに宣言することじゃないんですけど(汗)、私はノータイムで解答を見ています。どなたが選んだんだろう?どこを評価しているのだろう?といったところがスゴイ気になるからっていうのもありますが。
 
 読みの訓練として購入された方もいらっしゃるでしょうし、「自分で考えた上で鑑賞したい」「自力で気付いたこその感動なんですよ!」という方もいらっしゃるでしょう(解いてもらったほうが大なり小なり作者は嬉しい、っていうのは確かにそうだと思う)。そこの楽しみ方は人それぞれでしょうから私が口出しするようなことではありません。私が言いたいことは1つだけ。「解けた人も解けなかった人も、ハナから解く気ゼロの人も、解説を読もう」!

 詰将棋は問題ではなく表現だ、といったようなことを前回書きました。
 詰将棋が解けて答えも合っていた(解答できた)と、作品の良さ・伝えたかったこと・主張をまるっと理解できた(鑑賞できた)は必ずしもイコールではありません。
 自分の話ですけど、詰将棋を解いて「解けたけどなんか狙い分からんなあ」と思ってなんとも煮え切らない短評を書いて、解説を見てみると案の定作者の主張、作品の良さをちっとも汲み取れていなかったという経験があります。一度や二度じゃありません。
 「良さを汲み取れない自分が想像力不足だったんだ」とか、「良さが伝わるようなつくりかたをしていない作者が悪い」とか、そういうことが言いたいんじゃなくて、解説であったり、作者のコメント、あるいは的確な短評というものは作品理解のために大きな役割を担っているんじゃないかなと思うのです。

 もちろん、熟達した手練に同じことを言うわけではありません。ただ、はじめから完全自力で解答することはとても大変ですし、完全自力で鑑賞し尽くすこともとっても大変です。世の中には解図力、審美眼ともにトンデモナイって人もいますけど、最初からできるわけじゃないし、できないからって詰将棋を語っちゃいけないってわけでもないと思っています。
 簡単に解けちゃった作品が仮にあっても、解説はきちんと読んで鑑賞マインドを1つずつ1つずつ味わっていって、ゆくゆくはもっと多くの将棋ファンの皆様に『詰将棋って本当に「作品」なんだなあ!』と受け売りではなく心から感じてもらえることができれば、作家の端くれとしてとっても嬉しいなあと思います。

 特に短編名作選は詰将棋作家が40年の間に発表されたたくさんの作品から10作を厳選するという選考過程を経ており、なぜその作を選んだのか、どういうところが良いのか?そういった思い入れが滲み出た解説になっているはずなので、作者の情熱、選者の綴る感動体験に思いを馳せて本書を堪能いただければいいんじゃないでしょうか。

 偉そうですみませんm(_ _)m
2017/07/14

詰将棋鑑賞、超入門!(2)

各論その1:収束とは?

 詰将棋鑑賞入門、各論です。
 鑑賞は初めてだなあ、という方向け。
 
 前回は「型」を中心に話を進めていきました。
(再掲)
1,序奏
2,主題
3,終わりへ(=収束)

 前回の記事でこの「収束」なるものの重要性を強調しました。いったいこの言葉とは何を指しているのか?今回はここの話が中心です。

 よく収束とは駒を捨てることという説明がされることがあります。間違ってはいません。収束では駒を捨てて、捌いてナンボですから。ただ、それだけだと初めての方には分かりにくいかも。
 私としての定義はこんな感じです。
 

舞台に登場させた演者を遊ばせる(=活用できないまま、そのまま盤上に残骸として残す)ことなく、綺麗な形で舞台から引き下げていく、この風呂敷を畳んでいく過程のこと


 盤上で何かを表現しようとすれば、それを成立させるための舞台が必要です。それをきれいさっぱり片付ける最後の仕上げの過程が収束と捉えることができるでしょう。
 そして、風呂敷をたたむときに一番効率がよく、また味がいいのが捨駒であるから、よく使われる…。というような考え方はいかがでしょうか?




菊田裕司氏作 (近代将棋 平成5年7月号)
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※詰将棋を引用する場合は、作者名と出典を明記するのがマナーです。

32角成、13玉、35角、(イ)24飛、14銀、12玉、13歩、同桂、23馬、同飛、13角成、同飛、24桂、22玉、32香成まで15手詰

 非常に端正な初形。こんなに綺麗な初形にはそうそうお目にかかれません。
 もちろん形は綺麗でも手順がお粗末となれば本末転倒です。本作は手順も綺麗で実に清涼感あふれる作品になっております。

 24の合駒はなんでも良さそうですが、(イ)24他合は22銀、12玉、21銀不成、13玉、25桂で簡単に詰んでしまいます。21銀不成を許さない飛車合が最大の延命策です。
 短編の作品で合駒が出てきたら、それが限定されていること、そしてその合駒ののちの活躍が主題であることが大変に多いので、合駒が出てきたらなんとしても注目してみましょう。
 本作でも合駒の飛が以降の手順と密接に関わっていることがお分かりいただけるかと思います。

 さて今回は収束についての話です。
 13角成、同飛車あたりで本局の「魅せたいところ」である駒捌きは一段落したと判断すると、以降は綺麗な形でさっさとこの詰将棋を終わらせたいところです。以降の3手が収束らしい収束部分と認識できるでしょうか(まあ、このあたりの認識は人ぞれぞれなんで、明確に区別できるものではないと思いますが…)。
 最後の3手は捨駒ではありませんが、良い収束だと思います。
 初手以降、あまり活躍が目立っていなかった33の香車がトドメを刺すピッタリ感がいいと思います。詰め上がりで攻方の駒を余すところなく活用できていると、作品がグッと引き締まって見えます。
 捨駒は詰将棋の美学ではあるものの、捨駒だけが風呂敷を畳む手段ではないということがお分かりいただければ幸いです。

巨椋鴻之介氏作 (将棋春秋 1956/11)
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34桂、同金、23飛、12玉、21飛成、同金、34角成、11玉、12馬!、同玉、23金、11玉、21角成、同玉、22金打 まで15手詰


 これも有名な作品。形がきれいな器量良しさんはやはり良いですね。
 飛を成り込む軽快な序奏があり、その後34馬、11玉とした局面。12金打から精算しても駒が足りない。攻めが切れたように見えた局面で、12馬!の迫力ある飛び込みがありました。

 詰将棋では駒を取る手は俗っぽくて嫌われることが多いのですが、本作では2回も出てきます。しかしいずれの駒取りも全体の流れのなかで、自然に溶け込んでいるのであまり目立たず、嫌味な印象はあまり受けません。
 エグみを感じる駒取りと、感じない駒取り。何が違うのでしょう?うまく説明できません(汗)
 
 中心手が12馬だとすると、23金打ぐらいからが収束といえるでしょうか。
23金という手単独で見れば何の変哲もない手ですし、21角成も駒取りなので純粋な捨駒と同等の価値があるかいうと無いと言わざるを得ません。しかし詰め上がりはスッキリと最小限にまとまっていて、舞台装置を捌き切ったという印象をしっかりと受けます。そういう意味では上々の収束と言えるでしょう。
 風呂敷をたたむためには、なんといいますか、「流れに逆らわない」のが非常に大切なことでして、いくら捨駒が増えるとしても人為的な配置でゴチャゴチャなにか人的な介入を加えるのは興ざめだろうと感じております。

 収束以外の部分でも言えることかもしれませんが、いくらその要素が作品の評価上大切なものだとしても、それはあくまで部分に過ぎません。作品評価は最終的には全体の評価になります。全体の雰囲気を損なってまで何か手を加えるのはちょっともったいないかなあ、と個人的には思います。
2017/07/11

詰将棋鑑賞、超入門!

 先日、看寿賞の7手詰をツイッターに上げてみたところ思わぬ反響が。詰将棋ファンのみならず、将棋ファンの方にも解いていただけたようです。これは有難い。
 一方で、「解けたけどどういう意味での評価なのか分からない(意訳)」といった意見もあったようです。確かにそりゃそうですよね。

 というわけで、今回は「詰将棋鑑賞、超入門!」と題して、読めばそれだけで詰将棋の良し悪しがちょっとわかるようになる、鑑賞できるようになる。そんなふうな初めての方向け記事を書いてみようと思います。

 今話題の藤井聡太さんも詰将棋のプロフェッショナルとしても有名で、その解図力はもちろんのこと、創作、審美眼も一流のもの。空前の将棋ブームのすぐほど近くにある、この奥が深い詰将棋の世界を是非この機会に覗いてみませんか?
 マニアな皆さん、厳密に言えば違うだろ!という表現もあるかもしれないけど許してね。



■詰将棋鑑賞、超入門!
 この記事では、詰将棋を難しいかどうかだけで評価するのではなく、美しいかどうかで評価する観点の一端に触れようというコンセプトのもと色々書いていきたいと思います。。
「この詰将棋から何を感じ取ればいいんだろう…?」
「この詰将棋はどのへんが良くて褒められているんだろう?」

 そんな疑問に答える一助になれば幸いです。

 色々書きたいのは山々ですがまとまりがなくなりそうなので、これだけは覚えて帰ってほしい!というのを冒頭で掲げます。

1,詰将棋は作品であり、表現である!
2,解けなくて答えを見ることは後ろめたいことではない!
  作者コメントや解説を読んで、どんな表現物であったかを読み解こう。

 です。もうこれだけ伝わればそれだけでもいいぐらいです。

1,詰将棋は作品であり、表現である
 詰キスト(詰将棋が好きなひとたち)は雑誌の詰将棋を「問題」ではなく「作品」と呼びます。創意が込められた1つの表現物にふさわしい呼称であるということなんでしょうね。

2,解けるに越したことは無いですが、解けなかったら答えを見ちゃいましょう。
 詰将棋=上達のため課せられた、解かないといけない問題 って印象が将棋界隈では多かれ少なかれあると思います。宿題みたいなもんというイメージが詰将棋嫌いを加速させているんじゃなかろうか。
 現に、詰将棋を実戦のためと思ってやっていたときの自分は詰将棋大嫌いでした。解くものではなく、鑑賞するものと思うようになってから様相が一変したのもよく覚えています。嫌いでしょうがなくていやいや5手とか7手詰を解いていたときより、答えを見るようになってからのほうが解けるようになったのですから不思議なもんです。「嫌になるぐらいならすぐ答え見ちゃうほうがよっぽど良いよ」と誰かにもっと早く言ってほしかった笑




 詰将棋が作品であると書きました。作品というのなら、どうやって読解していけばいいのでしょう?以下はその読み解き方について話していこうと思います。

つくりものの2大要素は①オリジナリティと②お決まりの型(構成) であるとざっくり言ってしまいましょう。これを詰将棋にも当てはめてみます。

よい作品というのは、
① 作者が作品に込めた主張・主題がありつつ
② 詰将棋のお決まりのパターンに風呂敷をまとめている

 ものだとざっくり言ってみます。
 
詰将棋は体操の演技だとすると


 選手の演技全体    = 詰将棋1作の全体のまとまり
 その演技ならではの技 = その詰将棋の主張、主題、個性
 演技の流れ      = お決まりの型

 という対応になるでしょうか。
 ここで大事なのは「お決まりの型」というのが演技成立にいかに大切かということ。決して主題にはならないのですが、主題だけでは作品にならないのです。
 体操選手が鉄棒の上でいかに大技を繰り出すのだとしても、演技は始まりから終わりまで、鉄棒から手を離したあとのピタッとと止まる着地までを含めて全体で評価されます。

 オリジナリティがあるのかどうか(≒新しいのか、過去作と比べてどうなのか)という評価は、それは何作も何作も見て、その積み重ねで養われる鑑識眼です。こういうのはひとまずは専門家に任せておけばよろしい。私もわかりません。
 型を認識し、評価することができればもう6割方(チキって割合減らした)詰将棋鑑賞は終わっている…といっても過言ではありません。まずは型を理解しましょう。

 じゃあ型とはどういうものか。一例を示したいと思います。
1,序奏
 来るべき演技のピークのために、観客の気持ちをアゲていきます。
2,主題
 一番見てほしいところ。
「ここピークですよ」と伝わる表現法が望ましい
3,終わりへ
 詰将棋用語で作品のピークから終わりに向かっているプロセスを「収束」と呼びます。
「はい!フィニッシュ!大団円!わー!」というスッキリした終わりを提供しないとキレがよくありません。体操選手は着地を決めてこそです。

 なんだか普通なこと書いているように感じられたあなた、その感覚は正しい。普段のパワポでのプレゼン、漫画、小説、楽曲、ダンス…、なんにでも当てはまりそうな構成ですが、逆に言えば、人間が認識するという前提がある以上、どんな創作物であれその構成の根底は一緒で、詰将棋だって例外ではないということですね。

 手数(≒演技時間)によって構成は若干変わってくるものの、よくお目にかかる10手台の詰将棋(一番作品が多い手数区分)であればひとまずこの型で評価できると思っていいでしょう。 
 もちろん全ての詰将棋がこの型にピッタリはまるわけでありません。が、基本はこの型です。あとはちょっとした応用でイケるはず。中でも収束部分は95%の作品にあります。詰将棋は終わり方をメチャクチャ気にする競技です。詰将棋がよく体操の演技に例えられるのも、このあたりが影響しているのでしょう。

 ※残りの5%は収束がなくても許される、代わりの何かの主張・事情がある作品です。一般的な作品で収束がイマイチだと必ず指摘を喰らいます。

 話だけではつまらないので、詰将棋を一作見てみます。

初代大橋宗桂「象戯造物」第26番 13手詰

2017-07-11a.png

 52歩成、31玉、41と、32玉、24桂、同歩、42と、同玉、51銀、32玉、41角成、同玉、42金 まで13手詰

江戸時代の詰将棋です。歴史ありますね。解いていただいてもいいのでしょうが、今回は鑑賞メインということでさっさと作意順(=正解手順)を載せてしまいました。

 実戦に出てきそうな非常に端正な初形です。捨駒から考えたくなる私としては、初手51銀とやって31玉、41角成!、22玉と進めたくなります。そして以後届きません。「ははーん、なるほど、22玉のときに23地点が空いていれば23金と打てるってことだな。てことは24桂か!」
 紛れ(=詰まない候補手)にハマり、そこから正解へのヒントを得る…というのは、作者にとっては「そう辿ってくれると一番嬉しい解答の道筋」ということになりそうです。
 
 さて、我々は本作をどういうふうに評価していくのでしょうか?
 私は最初に「どこが主題かな?」と考えます。もちろん主題がすぐ分からない作品もあります。だから駄作or好作とは一概に言えませんが、主題がすぐ分かる作品は好作です。絶対です。
 そして本作。「24桂であえて23地点を空けるやりにくさ」。ここが作品の中心と感じました。作者もそう思っていたかは知りません。そして、仮に違っていたとしてもそれはあまり重要なことではない。見る人が感じたことはそれはそれで作品評価として正しいのです。それが鑑賞の世界です。

 もちろん主題では詰将棋にはなりません。24桂を打つまでの序奏も必要ですし、23地点を開けて息切れして詰将棋が空中分解…では困ります。詰将棋はきっちり詰めあげて初めて成立するのです。
 何度でも言いますが、「型」を評価すること、まずはそこから始めましょう。全体の評価は型でおおよそ決まります。

 さてあらためて作品を分解して、さきほどの表を本作に当てはめるとどうなるか、考えてみます。

1,序奏
 最初の4手(歩成~41と)
2,主題
 41角成ができない状態(=23地点への玉逃亡を防げない状態)にされてもなお、24桂を決行する!
 32とに23玉と逃げられてもうダメかと思っても、41角成、34玉、35金で捕まっている!
3,終わりへ(=収束)
 活用したと金を消し、角も消す。
 舞台装置を最速で捌き、最速で詰将棋を終わらせたからこそのスッキリ感。

 こんな感じでしょうか。
 
 本作は私も好きな作品です。ここまでの文章のまとめ的に、本作の好きなところを箇条書きで書いてみると、

・ すぐ見える51銀~41角成を最後までとっておく構成がいい。
・ と金をつくり寄せていく序奏は単純だが、41角成の邪魔となるようにと金を誘導されてもなお、24桂を決行するこの意外性ある呼吸リズムが新鮮である
・ 平凡にと金を使ったあとだからこそ、32との捨駒がより一層スカッとする。
 23玉と逃げたときの41角成がぴったり捕まっているのも良い。
・ 最後に出現した41角成が捨駒で、きちんと消えているのが良い。
 駒を捌ききってフィニッシュさせることは将棋の美学です。

 こうしてみると、主眼以外への評価がいかに多いか、いかに駒捌きを注目しているかがお分かりいただけるかと思います。「じゃあ主眼なんて要らないのか」というとそうではなく、前後の演出のおかげで、主眼が光ってくる(≒主眼が映えるように前後をつくっている)、また逆も然り、と理解していただけば。
 
42歩成~51との序奏部分は、いわゆる捨駒でも妙手でもなんでもありません。「そんなつまんない部分省いちゃえよ」と言われかねない部分でも、他の部分の関連性を考慮すると絶対省けない不可欠な序奏に化けて浮かび上がってきます。
 全体の評価というのは、部分部分の足し算ではなく、関係性の評価であるとも言えそうです。

 これらを踏まえてこの作品の短評を書いてみます。う~ん、そうですね…

 『23に金を打つ空間をつくるための24桂が好印象。個々の手はよくある手ではあるが、24桂決行のタイミングの取り方に意外性があり、新味を獲得できている。
 収束もばっちり大駒捨てで決まっている。お見事!
 洗練された初形配置と表現法は実に現代的であり、江戸時代につくられたとは思えない佳作と言えるだろう。』

 (え、エラソーだって?いいんですよ、作品は批評されるために発表されているんですから)

 こんな感じでしょうか。

 詰将棋ほど批評しやすいものはないと思います。なんてたって、詰め上がり図までのストーリーが確立されているし、駒が捌ければ嬉しいという気持ちは実戦派の皆様とも共有できる感覚でしょう。
 ある程度決められた型があるからこそ、詰将棋をストーリーとして認識することができるとも言えるかもしれません
 読書感想文のように詰将棋を語るのが我々詰キストです。




 以上、つらつらと書いてみました。いかがだったでしょうか?
「詰将棋やってるひとはこういう目線で詰将棋を見ていたんだなあ」というのが伝われば幸甚です。 
 ※あくまで私の見方にすぎないかもしれませんが!!!

 だいたいこの1記事で十分なぐらいにしたつもりです。さらにちょっと突っ込んだ各論的なものも、気が向いたら書きます。
 
 ああ、あと「詰将棋パラダイス」のオススメを。


 詰パラに載っている詰将棋は、正直簡単ではないもののほうが多いです。
 しかし、だからこそ解説はすごい丁寧になっており、随一の詳しさになっていると思います。詰将棋への理解はより一層深まることでしょう。今回でいう型の評価法を事前知識として仕入れておけば、詰パラ誌上の文章も頭に入りやすくなるはず。

 解ける方もそうでない方も、「読む」立場から詰将棋鑑賞の世界へ一歩踏み出してみませんか?

参考文献
 鑑賞物としての詰将棋作品論 會場健大氏
 http://p.booklog.jp/book/57240/page/1482767
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