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2017/07/11

詰将棋鑑賞、超入門!

 先日、看寿賞の7手詰をツイッターに上げてみたところ思わぬ反響が。詰将棋ファンのみならず、将棋ファンの方にも解いていただけたようです。これは有難い。
 一方で、「解けたけどどういう意味での評価なのか分からない(意訳)」といった意見もあったようです。確かにそりゃそうですよね。

 というわけで、今回は「詰将棋鑑賞、超入門!」と題して、読めばそれだけで詰将棋の良し悪しがちょっとわかるようになる、鑑賞できるようになる。そんなふうな初めての方向け記事を書いてみようと思います。

 今話題の藤井聡太さんも詰将棋のプロフェッショナルとしても有名で、その解図力はもちろんのこと、創作、審美眼も一流のもの。空前の将棋ブームのすぐほど近くにある、この奥が深い詰将棋の世界を是非この機会に覗いてみませんか?
 マニアな皆さん、厳密に言えば違うだろ!という表現もあるかもしれないけど許してね。



■詰将棋鑑賞、超入門!
 この記事では、詰将棋を難しいかどうかだけで評価するのではなく、美しいかどうかで評価する観点の一端に触れようというコンセプトのもと色々書いていきたいと思います。。
「この詰将棋から何を感じ取ればいいんだろう…?」
「この詰将棋はどのへんが良くて褒められているんだろう?」

 そんな疑問に答える一助になれば幸いです。

 色々書きたいのは山々ですがまとまりがなくなりそうなので、これだけは覚えて帰ってほしい!というのを冒頭で掲げます。

1,詰将棋は作品であり、表現である!
2,解けなくて答えを見ることは後ろめたいことではない!
  作者コメントや解説を読んで、どんな表現物であったかを読み解こう。

 です。もうこれだけ伝わればそれだけでもいいぐらいです。

1,詰将棋は作品であり、表現である
 詰キスト(詰将棋が好きなひとたち)は雑誌の詰将棋を「問題」ではなく「作品」と呼びます。創意が込められた1つの表現物にふさわしい呼称であるということなんでしょうね。

2,解けるに越したことは無いですが、解けなかったら答えを見ちゃいましょう。
 詰将棋=上達のため課せられた、解かないといけない問題 って印象が将棋界隈では多かれ少なかれあると思います。宿題みたいなもんというイメージが詰将棋嫌いを加速させているんじゃなかろうか。
 現に、詰将棋を実戦のためと思ってやっていたときの自分は詰将棋大嫌いでした。解くものではなく、鑑賞するものと思うようになってから様相が一変したのもよく覚えています。嫌いでしょうがなくていやいや5手とか7手詰を解いていたときより、答えを見るようになってからのほうが解けるようになったのですから不思議なもんです。「嫌になるぐらいならすぐ答え見ちゃうほうがよっぽど良いよ」と誰かにもっと早く言ってほしかった笑




 詰将棋が作品であると書きました。作品というのなら、どうやって読解していけばいいのでしょう?以下はその読み解き方について話していこうと思います。

つくりものの2大要素は①オリジナリティと②お決まりの型(構成) であるとざっくり言ってしまいましょう。これを詰将棋にも当てはめてみます。

よい作品というのは、
① 作者が作品に込めた主張・主題がありつつ
② 詰将棋のお決まりのパターンに風呂敷をまとめている

 ものだとざっくり言ってみます。
 
詰将棋は体操の演技だとすると


 選手の演技全体    = 詰将棋1作の全体のまとまり
 その演技ならではの技 = その詰将棋の主張、主題、個性
 演技の流れ      = お決まりの型

 という対応になるでしょうか。
 ここで大事なのは「お決まりの型」というのが演技成立にいかに大切かということ。決して主題にはならないのですが、主題だけでは作品にならないのです。
 体操選手が鉄棒の上でいかに大技を繰り出すのだとしても、演技は始まりから終わりまで、鉄棒から手を離したあとのピタッとと止まる着地までを含めて全体で評価されます。

 オリジナリティがあるのかどうか(≒新しいのか、過去作と比べてどうなのか)という評価は、それは何作も何作も見て、その積み重ねで養われる鑑識眼です。こういうのはひとまずは専門家に任せておけばよろしい。私もわかりません。
 型を認識し、評価することができればもう6割方(チキって割合減らした)詰将棋鑑賞は終わっている…といっても過言ではありません。まずは型を理解しましょう。

 じゃあ型とはどういうものか。一例を示したいと思います。
1,序奏
 来るべき演技のピークのために、観客の気持ちをアゲていきます。
2,主題
 一番見てほしいところ。
「ここピークですよ」と伝わる表現法が望ましい
3,終わりへ
 詰将棋用語で作品のピークから終わりに向かっているプロセスを「収束」と呼びます。
「はい!フィニッシュ!大団円!わー!」というスッキリした終わりを提供しないとキレがよくありません。体操選手は着地を決めてこそです。

 なんだか普通なこと書いているように感じられたあなた、その感覚は正しい。普段のパワポでのプレゼン、漫画、小説、楽曲、ダンス…、なんにでも当てはまりそうな構成ですが、逆に言えば、人間が認識するという前提がある以上、どんな創作物であれその構成の根底は一緒で、詰将棋だって例外ではないということですね。

 手数(≒演技時間)によって構成は若干変わってくるものの、よくお目にかかる10手台の詰将棋(一番作品が多い手数区分)であればひとまずこの型で評価できると思っていいでしょう。 
 もちろん全ての詰将棋がこの型にピッタリはまるわけでありません。が、基本はこの型です。あとはちょっとした応用でイケるはず。中でも収束部分は95%の作品にあります。詰将棋は終わり方をメチャクチャ気にする競技です。詰将棋がよく体操の演技に例えられるのも、このあたりが影響しているのでしょう。

 ※残りの5%は収束がなくても許される、代わりの何かの主張・事情がある作品です。一般的な作品で収束がイマイチだと必ず指摘を喰らいます。

 話だけではつまらないので、詰将棋を一作見てみます。

初代大橋宗桂「象戯造物」第26番 13手詰

2017-07-11a.png

 52歩成、31玉、41と、32玉、24桂、同歩、42と、同玉、51銀、32玉、41角成、同玉、42金 まで13手詰

江戸時代の詰将棋です。歴史ありますね。解いていただいてもいいのでしょうが、今回は鑑賞メインということでさっさと作意順(=正解手順)を載せてしまいました。

 実戦に出てきそうな非常に端正な初形です。捨駒から考えたくなる私としては、初手51銀とやって31玉、41角成!、22玉と進めたくなります。そして以後届きません。「ははーん、なるほど、22玉のときに23地点が空いていれば23金と打てるってことだな。てことは24桂か!」
 紛れ(=詰まない候補手)にハマり、そこから正解へのヒントを得る…というのは、作者にとっては「そう辿ってくれると一番嬉しい解答の道筋」ということになりそうです。
 
 さて、我々は本作をどういうふうに評価していくのでしょうか?
 私は最初に「どこが主題かな?」と考えます。もちろん主題がすぐ分からない作品もあります。だから駄作or好作とは一概に言えませんが、主題がすぐ分かる作品は好作です。絶対です。
 そして本作。「24桂であえて23地点を空けるやりにくさ」。ここが作品の中心と感じました。作者もそう思っていたかは知りません。そして、仮に違っていたとしてもそれはあまり重要なことではない。見る人が感じたことはそれはそれで作品評価として正しいのです。それが鑑賞の世界です。

 もちろん主題では詰将棋にはなりません。24桂を打つまでの序奏も必要ですし、23地点を開けて息切れして詰将棋が空中分解…では困ります。詰将棋はきっちり詰めあげて初めて成立するのです。
 何度でも言いますが、「型」を評価すること、まずはそこから始めましょう。全体の評価は型でおおよそ決まります。

 さてあらためて作品を分解して、さきほどの表を本作に当てはめるとどうなるか、考えてみます。

1,序奏
 最初の4手(歩成~41と)
2,主題
 41角成ができない状態(=23地点への玉逃亡を防げない状態)にされてもなお、24桂を決行する!
 32とに23玉と逃げられてもうダメかと思っても、41角成、34玉、35金で捕まっている!
3,終わりへ(=収束)
 活用したと金を消し、角も消す。
 舞台装置を最速で捌き、最速で詰将棋を終わらせたからこそのスッキリ感。

 こんな感じでしょうか。
 
 本作は私も好きな作品です。ここまでの文章のまとめ的に、本作の好きなところを箇条書きで書いてみると、

・ すぐ見える51銀~41角成を最後までとっておく構成がいい。
・ と金をつくり寄せていく序奏は単純だが、41角成の邪魔となるようにと金を誘導されてもなお、24桂を決行するこの意外性ある呼吸リズムが新鮮である
・ 平凡にと金を使ったあとだからこそ、32との捨駒がより一層スカッとする。
 23玉と逃げたときの41角成がぴったり捕まっているのも良い。
・ 最後に出現した41角成が捨駒で、きちんと消えているのが良い。
 駒を捌ききってフィニッシュさせることは将棋の美学です。

 こうしてみると、主眼以外への評価がいかに多いか、いかに駒捌きを注目しているかがお分かりいただけるかと思います。「じゃあ主眼なんて要らないのか」というとそうではなく、前後の演出のおかげで、主眼が光ってくる(≒主眼が映えるように前後をつくっている)、また逆も然り、と理解していただけば。
 
42歩成~51との序奏部分は、いわゆる捨駒でも妙手でもなんでもありません。「そんなつまんない部分省いちゃえよ」と言われかねない部分でも、他の部分の関連性を考慮すると絶対省けない不可欠な序奏に化けて浮かび上がってきます。
 全体の評価というのは、部分部分の足し算ではなく、関係性の評価であるとも言えそうです。

 これらを踏まえてこの作品の短評を書いてみます。う~ん、そうですね…

 『23に金を打つ空間をつくるための24桂が好印象。個々の手はよくある手ではあるが、24桂決行のタイミングの取り方に意外性があり、新味を獲得できている。
 収束もばっちり大駒捨てで決まっている。お見事!
 洗練された初形配置と表現法は実に現代的であり、江戸時代につくられたとは思えない佳作と言えるだろう。』

 (え、エラソーだって?いいんですよ、作品は批評されるために発表されているんですから)

 こんな感じでしょうか。

 詰将棋ほど批評しやすいものはないと思います。なんてたって、詰め上がり図までのストーリーが確立されているし、駒が捌ければ嬉しいという気持ちは実戦派の皆様とも共有できる感覚でしょう。
 ある程度決められた型があるからこそ、詰将棋をストーリーとして認識することができるとも言えるかもしれません
 読書感想文のように詰将棋を語るのが我々詰キストです。




 以上、つらつらと書いてみました。いかがだったでしょうか?
「詰将棋やってるひとはこういう目線で詰将棋を見ていたんだなあ」というのが伝われば幸甚です。 
 ※あくまで私の見方にすぎないかもしれませんが!!!

 だいたいこの1記事で十分なぐらいにしたつもりです。さらにちょっと突っ込んだ各論的なものも、気が向いたら書きます。
 
 ああ、あと「詰将棋パラダイス」のオススメを。


 詰パラに載っている詰将棋は、正直簡単ではないもののほうが多いです。
 しかし、だからこそ解説はすごい丁寧になっており、随一の詳しさになっていると思います。詰将棋への理解はより一層深まることでしょう。今回でいう型の評価法を事前知識として仕入れておけば、詰パラ誌上の文章も頭に入りやすくなるはず。

 解ける方もそうでない方も、「読む」立場から詰将棋鑑賞の世界へ一歩踏み出してみませんか?

参考文献
 鑑賞物としての詰将棋作品論 會場健大氏
 http://p.booklog.jp/book/57240/page/1482767
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