5手ばか詰の手筋(3)

5手ばか詰
02 /12 2016
第三回:捨駒

ばか詰 3手

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 第一回の記事でも出た図です。

 そもそもこの図が普通詰将棋では詰まず、ばか詰なら詰む理由は一体なんなのでしょうか?
(毎度毎度ばかばかしい質問ですみません)

 もちろん答えとしては「詰むように逃げてくれるから」となるわけですが、その「詰みやすい逃げ方」とは、一般的性質としてどのような逃げ方なのか?
 
 上の図の正解手順は53歩成、51玉、52銀 まで3手詰でしたね。受方の応手にばか詰と普通詰将棋の差異があらわれているとするならば、上の図をばか詰たらしめているのは2手目に「51玉」と逃げた手ということになります。
 多くの場合、受方は攻方の攻駒が保持されるような手を選びます。そうしなければ上の図など絶対詰まないのですから、当然ですね。先ほどの文章の「逃げる」という単語にもその心理が反映されていると言えるでしょう。普通詰将棋ならば「抵抗する」やら「応じる」となってしかるべき表現です。

 ばか詰で受方は攻めが続くように手を選ぶ。それは大雑把に言えば攻方の駒が残るような応手であり、暗黙の協定の下で応酬が繰り広げられていると表現できるかもしれません。文字通り、「協力」詰というわけですね。

 そしてフェアリストはへそ曲がりですから、そんな自然発生的感覚の逆を行こうと思うわけです。
 
「だったら捨駒を入れてやろう」と。

 ばか詰で捨駒が心理的難手となる理由は、これまでの説明でなんとなくご理解いただけるのではないかと思います。差し伸べられた手を自ら払いのけるような感覚とでも言いましょうか、ばか詰では普通詰将棋以上に、捨駒の非効率性が強調される。だからこそ、不利感や意外性の表出を期待できるでしょうね。
ただ、不利感は確かに演出できますが、実際に不利であることは決して保証されていません。工夫のない捨駒はたとえそれが見えにくいものであったとしても、その意外性が面白さも保証してくれるわけではないのです。一作のテーマとして採用するためには、それ相応の付加価値を作者は用意しなければならないでしょう。もちろん、それを考えるのが創作の楽しみとも言えます。

 なぜ、ばか詰なのに駒を捨てるのか?どうやって捨てるのか?どんな意味付けにするのか?作者の腕の見せどころですね。
 
以下実例。

花沢正純氏作 (詰パラ 1971.2)
ばか詰 3手


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有名な図。↓作意順を載せてしまいますがご了承ください。





91飛 同角 22金 まで 3手

 駒の利きを逸らす。今となってはメジャーな意味付けです。
 この意味付けを用いた他の作品としては、第一回フェアリー短編コンクール(WFP 2009/12)の神無太郎氏作などを思い出します。


 アプローチの一例として自作を1つ。
 なんでもかんでも自作をねじ込む厚顔無恥っぷりを発揮してしまい恐縮ですが、記事を書くにあたり、あんまやってなさそうな分野をマッチポンプで埋め合わせているだけです。一人芝居は寂しいので、願わくば後のどなたかに、決定版でもって自作なんか蹴散していただきたい。

ばか詰 5手 (未発表)

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色々気に入らないところがあるので、とても投稿できる代物ではありません。
お膳立てとしてのテーマが用意されて、やっとギリギリ人前に出せるかどうか…。
駒を捨てる理由というより、駒をどうやって捨てるのかがテーマになっています。


最後は、立派な作品に登場してもらいましょう。

勇者ロト氏作 (詰パラ 2012.5)
ばか詰 5手

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 近年の5手ばか詰のなかでは印象に残っているうちの一作です。
 ノーヒントならめちゃくちゃ難しいのでは?いやー、これは本当に見えなかった。

 解答はコメント欄ではなく次回の記事で。
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自称フェアリストです