5手ばか詰の手筋(4前)

5手ばか詰
02 /17 2016
第四回(前):そっぽ

 前回の記事の解答から。

(自作)39香、38金、37龍、同金、26桂 まで5手詰

 駒を捨てようにも、取ってもらうための駒がない。ならばそれを発生させてしまおう。
 出来はあんまり良くない。

(勇者ロト氏作)15金、同馬、12金、14玉、13金 まで5手詰

 象形は私としてはさほど加点要因にはならないが、本作の場合は別。端への捨駒ってだけでも見えにくいのに、左右対称形を崩す気持ち悪さも相まって心理的な読みにくさをより一層強いものにしているように思えた(深読みしすぎ?)。もちろん、金の二段活用も気持ちいい。


 さてどちらの手順でも、攻方は攻駒を玉から遠ざけるような方向に動かす手順があります。前者でいう37龍、後者でいうと12金がそれにあたりますね。ばか詰ではそんな「そっぽ」の手がよく現れます。これまで紹介してきた作品にもよく登場してきた手順ですよね。

 なぜ作家たちは、そっぽを手順に入れたがるのでしょうか?

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 普通詰将棋を含めると、そっぽと聞いて真っ先に思い浮かべるのはこの作品でしょうか。

柏川悦夫氏作 (詰将棋鞠藻集 昭和26年11月)

2016-02-17a.jpg
 
 初手が意外だというわけです。同じ開き王手をするんだったら、33金などとしたほうがよっぽど使い勝手が良さそうに思えますよね。

 玉から離れる手には、攻駒を敢えて遊ばせてしまうような不利感があると言えそうです。

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 不利感があると言っても、実際に不利だったとしたら作意順として成立しません。詰将棋である以上、そっぽでなくてはいけない意味付けがあるのです。今となっては不利感の演出というより、攻駒(特に龍)の移動を限定するための意味合いが強いのではないかと推測します。身も蓋もない結論ですが…。

 では、そっぽの意味付けにはどんなものがあるのでしょうか?最も多いと思われる意味付けに「空間に余裕をもたせる」というものがあります。もちろん、そっぽの意味付けとして他の表現がないわけではありません。前置きとして軽く触れておきましょう。例えばこんな感じ。

図1
2016-02-17ha.jpg

 67銀、49玉、58龍 まで 3手詰
 58への利きを残す着手として初手47銀と67銀を比較するとすれば、玉に近いぶん47のほうが良いように思えます。しかし後者のほうに「角筋の遮断」という役割を付与させることで、無理やり差別化を図ってやろうという寸法です。

 このような形で、上図でいう67地点(そっぽの地点)に行かねばならない理由を構築してしまえば、一応そっぽにはなります。ただこれは「そっぽに仕立てた(そっぽである必然性が薄い)」感が少し嫌味でしょうか。特に上の図などは、△76角→36角と配置を変えてしまえば折角のそっぽが消えてしまうわけでして、そっぽが出現するかどうかは作者の心次第といった印象を受けます。もちろん、工夫次第で面白くなることはあるでしょうが…。

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 多くのばか詰で、「空間に余裕をもたせる」という意味付けでそっぽが表現されています。
 そっぽという行為から連想する目的として一番自然な意味付けである上、ばか詰らしさも期待できるからでしょう。図1のような意味付けは普通詰将棋でも可能ですし、わざわざフェアリーでやる必要性があまり感じられないのかもしれません。

2016-02-17b.jpg

 上のような図で14玉と入ってもらうためには龍が強すぎます。敢えて22龍と遠ざかって攻めることで、潜り込むための空間を確保します。
 14地点を空ける行為は、相手が進んで14に入ってくれるからこそ意図がはっきりしてくるというものです。このあたりが「ばか詰らしい」と表現した所以です。相手が協力してくれる環境下で初めて成立する手順であるわけですね。

 続きます。
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自称フェアリストです