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2016/03/24

コンピュータの全検と創作

 人工知能がにわかに湧き上がってくる今日、詰将棋の自動創作や全検について我々が思いを馳せる機会も増えてきたのかもしれません。
 フェアリーは全検文化が比較的根付いている界隈だと思っています。もちろん、それらプロジェクトの大半を担っているのは、神無一族ということになりますね。例えば、安南や対面、キルケその他たくさんのルールにおいて、神無太郎氏の手で裸詰は全検されています。この先人間が裸詰の新作を得ることは難しくなりました(私も何作か裸玉を発表していますが、それらは全検前の創作か、全検されているルール以外かのどちらかです)。
 http://2nd.geocities.jp/cavesfairy2/hn/index1.htm

 ここに載っているおびただしい数のデータをひたすら眺めて、好作だと思ったものをピックアップしてWFP内の記事で紹介した経験もあります。
 機械が人の領域を脅かしているとも言えるのかもしれませんが、少なくともフェアリー界にとっては、この絨毯爆撃の財産はプラスになるのではないかと思っています。

 多くのルールは、普通詰将棋と比べれば歴史が浅いと言えるでしょう。そしてこれから歴史をつくる担い手も極めて限られた人数になってしまっているのが現状です。界隈を発展させるための人的リソースが圧倒的に不足しているのです。このルールではどれだけ面白いことができるのか、わからないままの暗中模索をごく少数の人々が行って、「果たしてこの自作は面白いのだろうか?もっと面白くすることは可能なのか?不可能なのか?」、そのあたりの感覚が分からないまま、なんとなく投稿してしまう。……要するに、今のフェアリー界には基準がないのです。詰パラ学校のような入選ラインもないし、出来を比較しようにもそのルールで発表しているのは自分しかいないということもしばしば。要するにフェアリーの世界は人類には広大すぎて、コンピュータが頑張ったとしても拓かれた土地はごく小さなもののように感じられ、脅かされている実感があまり感じられない。むしろより広い開拓のための舗装をしてくれているのではないかとさえ思ってしまうのです。
 一部ではあれそのルールを調べ上げることで、「(協力系では淡白なものが多い)裸詰でもこれぐらい面白いものがある→だからこのルールで裸詰以外を手掛けるなら、これ以上の面白さや構想を目指さねばならないし、無理ではない」といった「自分のなかで発表できるライン」を模索することができるのだと思います。もちろん始めの頃はそんなややこしいこと考えずにフェアリーを楽しんで創作することが第一です。しかし私なんかは100作ぐらいは発表してきたことになりますし、そろそろこのあたりも気にしないといけないなあとは思っています。
 厳しい言い方になりますが、フェアリー界にも競争や批判は必要だと思っています。私を含めて、人が少ないばかりに批判されるリスクが少ないというのはあまり良くない環境だと思っています。作者が自分を省みるためにも、そして何より、そのルールの面白さを覆い隠さないためにも。
 創作は自分一人でしているようで、それまでの歴史、そのときの周囲の作者の環境に大いに影響を受けています。例えば1つマイナールールがあったとして、過去そのルールで創作を手がけていたのは一人だけ。そんな現状ではその人の作り方がそのルールの作り方だと錯覚してしまいがちです。後続がもしそんな錯覚を相続してしまったとすれば、二人目も、その次の人も、同じような作図感覚を継承して、見せかけの創作論が盤石になってしまうこともありえることです。もちろんその1つの歴史が悪いわけではありませんが、1つしか歴史がないというのもこれまた問題と言えるのではないでしょうか。
 そういうわけで、人が少ないフェアリー界では、コンピュータの役割はこれまでも、これからも大きいものとなるでしょう。良きパートナーとしてはもちろんながら、時には不意打ちを与えてくれる存在となってくれればと思います。
 
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 では人間の創作領域にコンピュータを介入させていいのか、という疑問は私にもあって、どこまでコンピュータにまかせていいのか、どこまでは全検してもいいのかといった倫理的側面への解答を出すことは、とても私ごときではできません。
 コンピュータの使用法で最もありふれたものとしては、余詰検討が例として挙げられるでしょう。もちろん私もどっぷりその恩恵を受けている一人です。作意順、変化は自分のものだから問題ないだろうと思っているわけですね。しかし、紛れ順を具体的に把握しないまま投稿することも可能になったわけで、そこに議論の余地はあるでしょう。またそれより少し踏み込んだ使い方として、神詰大全(http://www.abz.jp/~k7ro/book/taizen.pdf)の【1-3】や【1-7】、【1-8】などの作品があります。大雑把に言えば、その狙いでの最善の配置を絨毯爆撃で検索するというのです。「作品をよりよく」の精神が何より大切であることはご理解いただけると思います。その上で、この推敲の過程を外部に委託していいのか。あるいは機械が人間より効率的に、より効果的に推敲できるようになったとしたら、我々は「作品をよりよく」の精神に従って、それを機械に任せたほうがいいのか。以上のような疑問が湧いてくるかもしれませんね。抵抗のある方は当然いらっしゃるでしょう。もし駄目なのだとしたら、余詰検討は良くて絨毯爆撃が駄目な理由は何なのか?もちろん両者に相違点はありますが、違いがあったとして、どこに境界線を引くかは人それぞれで、どれが正しいのかは誰にも分かりません。余詰検討も自力でするもの……、と考えている方もいらっしゃるわけですから。今後は、作家の一人一人に倫理感が問われていくのかもしれません。 
 コンピュータ色の強いフェアリー界ならともかく、普通詰将棋ではより一層の抵抗感があることは想像に難くありません。技術の進歩と倫理の問題は、今現在詰将棋だけでなく多くの領域で議論されていることです。いずれ詰将棋でも、きちんと議論されるであろうイシューだと思います。

 全検についての話では、一見コンピュータを支持している一方で、人が育てることの重要性を再考する趣旨とも取れると思っています。
 
 いずれにしても、作者が発表して、解答者や鑑賞者に評価してもらえる……。このコミュニケーションこそがこの世界で最も大切なことだと思っています。「こういうふうに創りたい」と思い、それが伝わるように頑張って、その創意が解答者へ実際に伝わったとき、なんだか報われたような気持ちになりませんか?人と人とのつながりに詰将棋の醍醐味が残ってくれれば、きっとこの先も大丈夫なんじゃないかな。万が一人がつくらなくとも、解釈して、感動するのは人固有の領域なのだと信じたいです(ディープラーニングがあるのでちょっと自信なし)。
 
 特にフェアリー界には、コンピュータに抵抗のない方が集まりがちです。私もどちらかと言えばそっち寄りの人間と言えるでしょうか。だからこそ、コンピュータを支持しないようなフェアリストも居たほうがいいと思うのです。どんな問題も、解決のためには両者からの議論の積み重ねが必要なのは言うまでもありません。

 自分のような駆け出しの若造は、口を動かすより手を動かすほうがよっぽど大切なのは重々承知しているのですが、アイデアがなくどうしようもない今、なんとなく喚き散らしてみました。駄文失礼しました。

※上で取り上げた、神詰大全の作品につきましてはあくまで絨毯爆撃利用例の1つとして参考にさせていただいただけであり、作者様および神無一族の方々の創作姿勢に異議を唱える意図は全くありません。私としても、絨毯爆撃にそれほどの抵抗感は無いのですが、だから絨毯爆撃を推し進めるべきだ、とも思っておりません。止めるべきだとも思っていませんが。
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コメント

非公開コメント

No title

フェアリーの世界についてはまだまだよくわかっていないので、伝統ルールの世界での話に言い換えさせてもらって、その上でコメントさせていただきます。

余詰検討と絨毯爆撃との線引きについてあくまで私の考えですが、「既に確立してしまったものについては排除のしようがない」と思っています。
人間の性として、既にある便利なモノを敢えて使わずにいることは難しい。それに、既にある以上、使っていないことの証明も難しいでしょう。
これを踏まえると、余詰検討機能等現在ある詰将棋関連のプログラムに関して、これを排除することは難しいと思われます。それが倫理的に正しくないことだとしても、われわれはもはや柿木将棋やfmとうまく付き合っていくしかない。そう考えています。
ですので、倫理的な線引きは別として、既に確立した技術とまだ確立されていない技術の境界で線引きするのが現実的ではないかと見ています。

No title

自分が良いと思うものを、考えて遺すだけ。好きなようにやっています。批判って必ずしも必要なのかな。自分に一番のダメ出しできるのは自分だけ、と考えていますが。
またもし詰将棋がPCで全検されたら、の話ですが、全ての可能局面が現れた時って単に新たなるスタートが切られるだけと考えています。そんな小さい世界じゃないと思いますよ詰将棋って。本当の宇宙って自分が宇宙だと思っている領域の外にあるものではないでしょうか(「宇宙」を「詰将棋」に変えてみて下さい)。ちなみに柿木もFMも全検ソフトではないです。以上長文失礼でした。

Re: No title

>ikironさん
 既に定着しているかどうかで境界線とするというのはわかりやすいですね。「今あるものを使う」というスタンスの作家方が多いでしょうし、そんな方々にもしっくりくる線引きなのではないでしょうか。
 またその上で、その定義の境界線であっても今後大きく動いていくだろうなとも少し思っています。もちろん、コンピュータにできることが増えていく方向へです。より利便性、効率性を求めることの是非はどう考えればいいのだろうか、悩みどころかもしれません。少しSFチックな話ですかね……笑

>変寝夢さん
 もちろん、常に批判があるべきという意味ではありません。ただ、批判がなさすぎるというのも、状況としてはあまり良い状態ではないのではないかと思ったのです。あくまで持論に過ぎませんが。
 少し語弊のある書き方だったかもしれません。申し訳ないです。

 作者が自分を律することはもちろん大切だと思いますが、やはり私の場合作品を見られて、短評や解説、感想を受け取る過程は成長面、モチベーション面で無視できないように思います。

 全検に関してはそのときが来たらそのとき考える、ぐらいの心持ちです。
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